「せいさいよだつ」の起源を探る

「せいさいよだつ」の起源を探る

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 生殺与奪を「せいさいよだつ」と読む人がしばしばいるようです。斯く言う私もそう読んでいた一人で、感覚でそう読むものと誤解したか、あるいは当時読んだ書籍に振ってあったルビを鵜呑みした可能性が高く、推測するに1990~2000年代にこの読み方が広まったとみています。それを証明するため、手持ちの書籍やネットから「せいさいよだつ」とルビを振っている書籍を手あたり次第探し出しリスト化することで、「せいさいよだつ」と読まれるようになった起源がいつごろかを探ってみました。

「せいさいよだつ」とルビを振る書籍・及び「せいさいよだつ」発言一覧

・児玉 幸多、 笠原 一男著「日本史こぼれ話近世・近代 第二巻(60ページ)」(1993)
・太田龍著「縄文日本文明一万五千年史序論(220ページ)」(2003)
・林秀彦著「この国の終わり: 日本民族怪死の謎を解く(22ページ)」(2006)
・林秀彦著「日本人はこうして奴隷になった(85ページ)」(2008)
・岬/龍一郎著「図解武士道: 逆境に負けない不屈の精神、何事にも動じない心を鍛える(26ページ)」(2014)
・アンリ・ムオ著, 大岩誠 (翻訳)「アンコールワットの「発見」(ラオス篇)」(2018)
北方謙三氏、トークライブでの発言(2018)

 特に著名なのは「福沢諭吉著作集 第12巻」(2003年初版発行)の462ページに「学問のすすめ第六編は、国憲の貴き由縁を論じて、私裁の悪弊を咎め、国民の身分を以て政府の下に居るときは、生殺与奪(せいさいよだつ)の政権をば悉皆政府に任して、人民はこの事に就き秋毫の権あるべからず、その趣意を広めて極度に至れば、仮令い我家に強盗の犯人することあるも、妄に手を下すの理なしとまでに論じて、痛く私裁の宜しからざるを述べ、巻末に赤穂の義士、並びに政敵の暗殺等を出してその例を示したるなり。」とある。出版時に付けられたルビなら2003年、「福沢全集緒言」刊行当初に付けられたものなら1897年になる。

(2023年3月25日追記)戦前・戦後の書籍から「せいさいよだつ」とルビを振っている書籍を数点発見したので追記。

・(雑誌)「衛生新報 第4年」(1907、衛生新報社、画像左下)
「大日本百貨全集 第11巻(250ページ)」(1927、誠文堂)
・高木友三郎 著「経済断交怖るゝに足らず : 東亜モンロー主義への驀進」(1932)
・(雑誌)「新女性 (54)」(1955、新女性社、画像右下)

「生殺与奪」を用いている書籍一覧

・伊藤博文・大隈重信・松方正義 共著「開国五十年史(446ページ)」(1907)※ルビなし
・クロパトキン 著「二十世紀ニ於ケル露国ノ使命」(1912)※ルビなし
・ウイルヘルム・ホーヘンツオルレルン 著「前独帝自叙伝(101ページ)」(1923)※ルビなし
・平林初之輔 著「予審調書」(1926)※青空文庫版、ルビなし
・白柳秀湖 著「親分子分. 侠客編(422ページ)」(1930)※「せいさつよだつ」とルビ振り
・直樹三十五 著 「ロボットとベッドの重量」(1931)※青空文庫版、ルビなし
「皇室中心の経済総統制権を樹立せよ(74ページ)」(1935)※ルビなし
・本庄陸男 著 「石狩川」(1939)※青空文庫版、ルビなし
・宮本百合子 著「デスデモーナのハンカチーフ」(1948)※青空文庫版、ルビなし
・嶋中雄作「日本出版協会論」(1948)※青空文庫版、ルビなし
・久生十蘭 著 「ノア」(1950)※青空文庫版、ルビなし
・大杉栄 著「奴隷根性論」(1968)※青空文庫版、ルビなし
・坂根義久 編「青木周蔵自伝(53ページ)」(1970)※ルビなし
・高群逸枝 著「女性の歴史(上)」(1972)※ルビなし、「生殺与奪」8回登場。史上最も「生殺与奪」を使っている文庫と推測。
・中里介山「大菩薩峠」(1976)※青空文庫版、ルビなし
・黒島傳治 著「武装せる市街」(1978)※青空文庫版、ルビなし
・中津燎子 著「なんで英語やるの?」(1978)※ルビなし
・西村寿行 著「峠に棲む鬼<上巻>(電子復刻版・113ページ)」(1980)※ルビなし
・城山三郎 著「今日は再び来らず」(1981)※ルビなし
・半藤一利 著「聖断天皇と鈴木貫太郎」(1985)※ルビなし
・戸部 新十郎「前田利家(上)」(1986)※ルビなし
・内藤克人・佐高信「日本自讃論」では未来は読めない」(1987)※ルビなし
・吉川英治 著 「鳴門秘帖 上方の巻」(1989)※青空文庫版、「せいさつよだつ」とルビ振り
・谷恒生 著「戦国の風」(1992)※ルビなし
・朴尚得 訳「イザベラバード 朝鮮奥地紀行1(63ページ)」(1993)※ルビなし
・斎藤充功 著「伊藤博文を撃った男―革命義士安重根の原像(143ページ)」(1994)※ルビなし
・橘外男 著 「ウニデス潮流の彼方」(1995)※青空文庫版、ルビなし
・瀬島 龍三 著「幾山河―瀬島龍三回想録」(1996)※ルビなし
・山岡 洋一, 仁平 和夫 訳「レスター・C・サロー 資本主義の未来(157ページ)」(1996)※ルビなし
・佐藤早苗「東條英機「わが無念」(68ページ)」(1997)※ルビなし
・中嶋繁雄 著「物語 大江戸牢屋敷(4ページ)」(2001)※ルビなし
・山本七平 著「帝王学 「貞観政要」の読み方(3ページ)」(2001)※ルビなし
・崔基鎬 著「歴史再検証日韓併合韓民族を救った「日帝36年」の真実」(2004)※ルビなし
・大下英治 著「郵政大乱!小泉魔術」(2005)※ルビなし
・中村文彦 著「最後の御大将平重衡: 義経が最も恐れた男」(2005)※ルビなし
・工藤美代子 著「われ巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇(249ページ)」(2006)※ルビなし
・工藤美知尋 著「日本海軍の歴史がよくわかる本」(2007)※ルビなし
・秦郁彦 著「南京事件―「虐殺」の構造」(2007)※ルビなし
・守屋淳 著「孫子・戦略・クラウゼヴィッツ―その活用の方程式(127ページ)」(2007)※ルビなし
・渡部昇一 著「『パル判決書』の真実 いまこそ東京裁判史観を断つ」(2008)※ルビなし
・小谷まさ代 訳「リチャード・マクレガー 中国共産党 支配者たちの秘密の世界(153ページ)」(2011)※ルビなし

なぜ「生殺与奪」を「せいさいよだつ」と読んでしまうのか

 まず「生殺与奪」という四字熟語の認知度についてだが、小中学校の国語で「四字熟語」を学ぶ単元はあるものの、「生殺与奪」を掲載する国語教科書は観たことがなく、試験問題として出題された例も塾講師20年の経験で記憶にない。しかし漢字検定協会の参考書及び漢検過去問を調べたところ、平成12年初版の「漢字学習ステップ」準2級、及び2018年初版の同書3級には収録されていたことから、過去に漢検3級以上を受験するために漢字の勉強をしたことがある人か、あるいは読書好き(特に歴史や社会学、ルポルタージュ等)でないと知り得ない四字熟語であるといえる。(ちなみに漢字検定3級及び準2級の累積合格者数はそれぞれ約400万人、200万人超)

 その上で調査した結果、生殺与奪にルビを振ることはまれで、ルビを振っている書籍はむしろ「せいさいよだつ」と振っているものが多いことが判明した。また「相殺」の読みを「そうさい」と知る人はそこそこ勉強している人であり、その読みを知ったがために、感覚で生殺与奪を「せいさい・よだつ」と読むのだろうと誤解したまま発音する人が何割か出現し(具体的数値は不明だが、おそらく2,3割だと思う)、その使い方をそこそこ賢い人が使っていることからむしろ良いと思い真似た人や、誤解した人の書籍を読むとわざわざ「せいさいよだつ」とルビを振ってあることから、そう読むものなのだろうと思った人が増殖していったのではないかとの結論に至った。つまり読書家ほど誤解する可能性が高い言葉ではないかと推察できる。ただし、敢えて「せいさいよだつ」と読ませたいがために振ってあるのもあるだろうから、誤解とは言いながら誤りとまでは断定できない。また増殖時期は「せいさいよだつ」とルビを振っている書籍の年代からも2000年代だろうとの一定の根拠が得られた。

 (2023年3月25日追記)国立国会図書館の蔵書から「生殺与奪」を全文検索したところ、26,715冊が該当し、うち「せいさつよだつ」とルビを振るものは655点、「せいさいよだつ」は7点だった。また「せいさいよだつ」とルビを振る書籍は1960年以前に多く、再び使われ始めたのは1990年以降という傾向も見られた。

【補足】各国語辞書の「生殺与奪」の意味一覧

言海(445ページ)(1889-1891)※「せいさつよだつ」と記載
日本大辞典(1750ページ)(1896)ー「生殺」(生かし置くことと殺すこと)の意味はあるが、「生殺与奪」の用例はなし。
大日本国語辞典 第三巻(98ページ)(1917)―「生殺」(生かすことと殺すこと)の意味があるが、「生殺与奪」の用例はなし。
言泉:日本大辞典3巻(2305ページ)(1922)―「生殺」はあるが「生殺与奪」の用例はなし。
大日本国語辞典(第五巻)(781ページ)(1940)―「生殺」と「与奪」にそれぞれ「生きることと殺すこと」「与ふることと奪ふこと」とあるが、「生殺与奪」の用例はなし。
広辞苑第五版ー生かすことと殺すこと、および与えることと奪うこと。どうしようと思いのままであること。「―の権」
国語大辞典ー生かしたり殺したり、与えたり奪ったりすること。どのようにでも思いのままにすること。「生殺与奪の権を握る」
三省堂大辞林ー生かしたり殺したり、与えたり奪いとったりすること。どうしようと思うままであること。「―の権を握る」
新明解国語辞典第五版ー(「生殺与奪」はなく「生殺」に)生かすことと殺すこと。「―与奪ヨダツの権〔=相手を殺そうと生かそうと、物を取りあげようと やろうと、自分の思うままに出来る偉大な力〕を握る」
日本国語大辞典-「生かしたり殺したり、与えたり奪ったりすること。人民や部下などをどのようにでも思いのままに支配すること。多く、「生殺与奪の権」の形で用いられる。」

「言海」(国立国会図書館デジタルアーカイヴより)

【補足】「殺」の原義

 字通によると、「殺」の左部は「祟りを為す獣」、右部は「その獣を倒す矛で、その獣を殺す」を意味し、この獣を殺すことによって、敵より加える呪詛が減殺(げんさい)されることから、「殺す」「減らす」という意味になった。その後、人を刑殺することを意味するようになり、廟(たまや)でその呪儀を行うことを「さい」といった、また右部の矛を「さい」と読むことから「さい」の読みとなったよう。ただし「さい」と発音する場合、現代では「減らす」という意味で用いられる熟語に使い分けられている。中国語の同義語「杀」の発音は「シャー」で①殺す、②そぎ落とす、③値段を下げるなどの意味を持つ。(下一覧)

【補足】「さつ」「さい」使い分け起源は不明な上、「さい」と読む熟語は現在では「相殺」「減殺」くらいしかない

 「さつ」「さい」ともに漢音で、正しい読みであることは間違いないものの、現代では「さい」は「すり減らす」、「さつ」は「殺す」という意味を持つ熟語に使い分けられている。しかし明治から昭和初期の辞書を調べると、特別使い分けられているとは思えない。例えば字通では「殺止」を「さいし」と読むが、昭和13年の「現代漢和大字典」では「さつし」と読み、また「殺青」を字通は「さいせい」と読むが、現代漢和では「さつせい」と記されている。そもそも「殺」を「さい」と発音する現在も使用される熟語は「相殺」「減殺」程度と限られている。

【殺下】さいか=やせこけたほほ。(大漢和辞典)下細り。(字通)
【殺止】さいし= 停止する。(字通)
【殺小】さいしょう= そぐ。(字通)
【殺青】さいせい= 竹簡を炙って乾かす。汗簡。漢・劉向〔戦国策の序〕其の事は春秋以後を繼ぎ、楚のるに訖(をは)る。二百四十五年の事なり。皆定むるにを以て書し、繕寫(ぜんしや)すべからしむ。 (字通)
【殺損】さいそん=減損する。(字通)
【殺内】さいない  節制する。(字通)
【殺礼】さいれい=略礼。(字通)礼儀を略する。(大漢和辞典)
【減殺】げんさい=減らすこと。少なくすること。(大辞林)
【相殺】そうさい=互いにさしひきして、損得や増減のないようにする。(字通)
【豊殺】ほうさい=ゆたかなことと、つづまやかなこと。(字通)
【隆殺】りゅうさい=増減。加減。(字通)

【補足】「相殺」の起源は少なくとも1800年

 「帳消し(set off)」という意味で用いられる「相殺」は少なくとも江戸化政期の1800年に見られる。戸水寛人「均衡法」に「相殺及び辨済適応」とある。「殺」に「さい」の音も持つことから、あえて明治期に作られた法律用語は「さい」と使い分けるようになったのではと推測する。ちなみに現代中国の「相殺」は「抵消」という。

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