「なぜ英語を学ばなければならないか」の答え

「なぜ英語を学ばなければならないか」の答え

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 「なんで英語を学ばなければならないの?」は今も昔も勉強嫌いな子供がよく質問する内容ですが、一方で「それは日本がアメリカに戦争で負けたからだ」と根拠のないことを述べる指導者がいて、私もかつてはそうなんだと思っていました。しかし実際はアメリカと戦争する以前から英語教育は行われていました。ではなぜ英語を学ばなければならないのでしょうか。―この回答は現在と少し前、だいぶ前では状況が異なるので多少変わります。特に2002年から英語が必修化されたので、現在はその法的根拠を基に回答すれば容易です。でもそれだけでは説得力に欠けるので、なぜ法律で英語を学ぶことが義務化されたのかも含め、まずは現在聞かれた時になんと答えれば良いかを説明します。

英語を学ぶ理由は「法律で決まっているから」

 1947(昭和22)年に制定された「学校教育法」とそれに付随する「学校教育法施行規則」に基づき定められる「学習指導要領」の1998年改訂版(文部省告示第176号)にて、「外国語」が中学校の必修科目になり、さらに「外国語には英語を履修させることが原則」と定められたから。98年の改訂版までは「外国語」が選択科目の一つではあったが、必修ではなかった。2020年には学校教育法施行規則が改訂され、小学校の教育課程でも「外国語」が必修科目となった。

上記が法的根拠に基づく回答です。ではなぜ英語が必修科目になったのか。大きく4つに分けられる理由を以下に説明します。

なぜ英語が「必修化」されたのか

① グローバル化・英語の国際語化

 義務教育での英語必修化の理由として、成熟した国際情勢は当然重視されたでしょう。1995年に日本に上陸したインターネットによってグローバル化はより加速しました。現在世界約200カ国のうち、英語を公用語とするのは58の国と21の地域(Wikipedia調べ)、英語を母語とする人口は4億人文部科学省)、英語話者は約12億人Wikipedia調べ)と世界の6人に1人が英語を話し、またインターネットウェブサイトで使われている言語も英語が60.4%を占めるVISUAL CAPITALIST調べ、日本は2.1%)など、英語が国際語として定着しています※。

 一方、日本人の海外旅行者数も年々増加し、2019年には2000万人を超え5人に1人が日本語以外の言語が必要な環境へ訪問しており(下図)、海外在留邦人も年間130万人に達するなど(下図)、第二言語としての英語の必要性が高まっています。

※英語が国際語であると認知される根拠は神戸海星女子学院大学の小野礼子氏の論文も参考になります。

② 日本国憲法と教育基本法に基づく施策

 法的根拠に基づくのであれば、そもそも終戦後に公布された日本国憲法前文で「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」とあり、又教育基本法第二条でも「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と定める日本において、母国語だけでなく英語の習得は必要条件とまではいかなくても十分条件であり、日本の文化水準の高まりや国際社会の成長に連れて必修科目になることは時間の問題でした。

③ 中途半端な英語教育に対する批判への対策

 学習指導要領1998年改訂版まで外国語(英語)は必修ではなく選択科目でしたが、それまでも戦前から多くの学校では外国語、中でも英語を選択しており、事実上必修科目のような状態でした。そのように英語を他の選択科目より重要視していたにも関わらず、英語を習得できない生徒ばかりの中途半端な英語教育に対して昭和初期から批判が相次いでいました。例えば昭和9年の帝国議会貴族院本会議で、学者出身の三上参次議員は次のように批判し、中学校の英語教育時間の削減を主張しました。

 私は外国語の必要を頗る痛切に感ずるものであります、故に将来大学の教授でありますとか、或いは専門学校の教授等に於て、外国話に親しまなければならぬと言う者は勿論のこと、外交官、その他実業家でも、外国人と直接取引をすると言うような人には、外国語は最も必要である、それには今日やって居るような生温い外国語の教え方、即ち数十人の者を一つの「クラス」に集めて、書くことも一箇月に幾遍もすることが出来ない、話すことも聴くことも十分に出来ないと言うような今日のようや英語のやり方では駄目な訳です。

また昭和35年の衆議院予算委員会で自民党・周東英雄議員は次のような質疑を行いました。

 私は外国語教育の改善について総理あるいは文部大臣にお尋ねいたしたいと思います。総理は、かねがね次代をになう青少年対策についてはいろいろの構想をお持ちになって、着々これを制度化し、予算化されていることにつきましては、非常に敬意を表するのであります。ことに三十四年から実施いたしました農村青少年の海外派遣ということ、これは人格、識見等の高い人を中心にいたしまして、百人これを東南アジア、アメリカ、ヨーロッパへ派遣して、見識を広め、国際人たるの素質を養成するとの趣旨のもとに行なわれました。これは非常な成功であります。今日、三十五年度におきましても、その意味においては多少ながら増加して継続することになっておることは喜びにたえないのであります。これに関連しまして私がお尋ねいたしたいことは、何といたしましても、今後の日本人は、もう少し視野の高い世界的な、言いかえれば、日本の日本人ではなくて、世界の日本人たる方向へ青少年を教育し、教養を高めていくことが必要だと思うのであります。その意味において、ただいまのような青年の海外派遣を計画されたことは当を得たものと考えております。が、私の今日考えますことは、英語教育であります。今日中学から英語を——外国語でもよろしいが、主として英語ですから私は英語と申しますが、英語の課程は中学から始まります。そしてホワット・イズ・ジスから始まって、主として本を読むことの勉強を始めます。しかし中学だけで終わる人間は全くあとになって忘れてしまいます。役に立たない。たまたま高等学校、大学へ進みます者は、その中でも卒業して本がりっぱに読めて外国語を勉強するのは一割にも足らぬ人間だと思う。そうして大部分は中学から始まって英語の試験の重荷に困って、これは悪ければ落第させられる。こういう負担の重いことをやっておいて、役に立たぬような英語教育をそのまま続けていくことはいいのか悪いのか、私は検討する必要があると思う。昔の日本は、勉強して英語というものが読めるという形を作っておくことによって、まあ本でも読めるかということでありまして、あまり外国へ行く人も少ないし、接触は少ないし、しゃべることの機会が少なかったと思うのであります。あるいは必要がなかったのかもしれない。しかしながらヨーロッパ各地におきましてもその地方におきましては、ぽっと出れば三十分でドイツに行く、一時間たてばフランスに行くという格好でありまして、大体おのおのの国人が各国の言葉が自由に話せる状態であります。今日世界の距離が狭まって、やがては本年中には、総理に今晩はサンフランシスコでごちそうしようかということで連れていってもらえるような近距離になってきておる。こういうふうな世界が近くなってきている状態においては、もっともっと日本人が外国語をしゃべる機会が多いのではないかと思う。また、しゃべることができることによって、あるいは経済交渉その他においても、あるいは日本の海外発展においても、非常な効果を上げるものと思うのでありますが、その意味において私は今後の英語教育を——やらぬのならいいです。やっても負担だけかけて役にも立たぬようなやり方をするよりは、中学時代から会話専門のしゃべることを中心として、試験なんかなくてもよろしい。一週間毎日会話の時間を設けてやるようなことをすれば、中学だけで終えても、三年だけやれば一通り会話ができるとすれば、新しい方面にその若い者が発展することもできますし、さらに高等学校、大学と進むにつれまして、海外に発展する人が、おのおのその言葉をもって安心をし自信を持って外に出ていくことができる。これが総理の言われる、青年に夢を持たせて、移民関係においても教養ある青年を海外に出そうとされることの裏づけにもなるし、また日本の日本人でなくて世界の日本人たる教養を与えるためにも言葉というものが一番大切だろうと思う。妙なことを申しますけれども、われわれお互いに文字を覚えてからしゃべったのじゃなくて、六つか七つまでは、文字は知らぬけれども「お父さん行ってらっしゃい」の言葉はしゃべってきた。だからむしろ私どもは今日の段階において、会話を主とした英語教育に改善していくことが必要であろうと思うのですが、いかがでございましょうか。ただしそれは私がそう言ったからといって、あしたから一ぺんにやるわけにはいかぬ。教える先生がいないのですから、三年計画もしくは五カ年計画をもって、会話のりっぱにできる日本人を養成するなり、そういう方向へ持っていくことの計画を今から進めるべきではなかろうか、かように私は思うのでありますが、総理の御所見を伺いたい。

これに対し、当時の岸信介総理は松田竹千代文部大臣に回答を受け流し、松田大臣は次のように回答しています。

 お話のように世界のスピード化から世界が小さくなって、世界中の人種がきわめてひんぱんに往来するようになった。そういう時代において語学の必要なことは言うまでもないのでありますが、現にフォード財団あたりにおいて今日は世界の数ヵ国語を話す人材を要求している切なるものがある。だからこれに応じて、できるならば、東京においても世界の国際語大学を作りたいというような話も持ってきておるわけであります。わが国においては、長期にわたって外国語を、主として英語を相当に力を入れて教えて参ったのでありまするが、その結果は、必ずしも活用という面においては遺憾な点が多い。そこでどうしてももう少し役に立つ、実際的な語学を修得せしめなければならぬということが非常にやかましくなって参っております。文部省におきましても、特にこの点に留意いたしまして、専門家、学識経験の深い人々等によって協議会を開きまして、特に英語の教育の方法について至急に検討して参りたい、かように考えておるわけであります。まあ現実の話をすれば、オリンピックもくることであり、この点だけを考えてみても、その接受にも役に立つような人を養成していかなければならぬのじゃないか、こういうようなことも考えておるわけであります。従来の英語の教え方というものは、主としてヴィジュアル、目からくるやつ、これはどうしてもフォウネティックでなくてはいかぬというような説が強いわけでありまして、これはその通りなんです。そうでなければナチュラルな言葉はできない、こういうわけでありますので、特に急速にこの方面に力を入れて、そうして教育、語学の教授の方法を検討して参りたい、かように考えておる次第であります。

 周東議員はこのあと、英語の試験地獄で苦しめながら結局役に立たぬようなことをやるよりは、会話を主とした英語教育に改善するよう促しています。

 このように戦前・戦後と効果の見られない英語教育が批判され続けていたのです。上記指摘のように英語が重要だからといって授業をしても、習得できなければ意味がありません。英語を必修科目とした1998年に改訂された学習指導要領の文部科学省の説明を見てみると「豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚の育成」とされており、具体的には「話す聞く教育に重点。小学校でも『総合的な学習の時間』などにおいて英会話などを実施」と、半世紀も前に周東議員が訴えていたことがようやく重点に置かれるようになりました。それでも外国語の授業時間数は105と世界各国の英語の授業時間より少なく、2007年に改訂した学習指導要領で140時間に戻しました。もっともカナダ・ケベック州のイマージョン・プログラムのような本格的な指導方式から見れば、140時間に増やしたとしても効果は疑問です。そして現在日本の英語話者は全人口の15%ほどと言われています(Wikipedia調べ)。下表は中学学習指導要領での外国語の取り扱いに関する変遷です。

1958(昭和33)年改訂版
同年10月1日施行

1 外国語の音声に慣れさせ,聞く能力および話す能力の基礎を養う
2 外国語の基本的な語法に慣れさせ,読む能力および書く能力の基礎を養う
3 外国語を通して,その外国語を日常使用している国民の日常生活,風俗習慣,ものの見方などについて基礎的な理解を得させる。

各学年の外国語授業時間数:105
選択教科の種類:外国語,農業,工業,商業,水産,家庭,数学,音楽及び美術
選択可能な外国語の種類:英語,ドイツ語,フランス語,その他の外国語

1969(昭和44)年改訂版
1972(昭和47)年施行

外国語を理解し表現する能力の基礎を養い,言語に対する意識を深めるとともに,国際理解の基礎をつちかう。
このため,
1 外国語の音声および基本的な語法に慣れさせ,聞く能力および話す能力の基礎を養う
2 外国語の文字および基本的な語法に慣れさせ,読む能力および書く能力基礎を養う
3 外国語を通して,外国の人々の生活やものの見方について基礎的な理解を得させる。

各学年の外国語授業時間数:105
選択教科の種類:外国語,農業,工業,商業,水産及び家庭,その他特に必要な教科
選択可能な外国語の種類:英語,ドイツ語,フランス語,その他の外国語

1977(昭和52)年改訂版
1981(昭和56)年施行

外国語を理解し,外国語で表現する基礎的な能力を養うとともに,言語に対する関心を深め,外国の人々の生活やものの見方などについて基礎的な理解を得させる。

各学年の外国語授業時間数:105
選択教科の種類:音楽,美術,保健体育,技術・家庭及び外国語,その他特に必要な教科
選択可能な外国語の種類:英語,ドイツ語,フランス語,その他の外国語

外国語を理解し、外国語で表現する基礎的な能力を養い、外国語で積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育てるとともに、言語や文化に対する関心を深め、国際理解の基礎を培う。

各学年の外国語授業時間数:105~140
選択教科の種類:国語等及び外国語の各教科並びにその他特に必要な教科
選択可能な外国語の種類:英語,ドイツ語,フランス語,その他の外国語

外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,聞くことや話すことなどの実践的コミュニケーション能力の基礎を養う

各学年の授業時間数:105

外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,聞くこと,話すこと,読むこと,書くことなどのコミュニケーション能力の基礎を養う

各学年の授業時間数:140

外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ,外国語による聞くこと,読むこと,話すこと,書くことの言語活動を通して,簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
 (1)外国語の音声や語彙,表現,文法,言語の働きなどを理解するとともに,これらの知識を,聞くこと,読むこと,話すこと,書くことによる実際のコミュニケーションにおいて活用できる技能を身に付けるようにする。
 (2)コミュニケーションを行う目的や場面,状況などに応じて,日常的な話題や社会的な話題について,外国語で簡単な情報や考えなどを理解したり,これらを活用して表現したり伝え合ったりすることができる力を養う。
 (3)外国語の背景にある文化に対する理解を深め,聞き手,読み手,話し手,書き手に配慮しながら,主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする態度を養う。

各学年の授業時間数:140

④ インバウンド・移民政策の一環

 ただいくら憲法や法律で国際社会の発展に寄与する態度を求められたとしても、義務教育での英語の必修科目化は必ずしもその必要条件ではなく、先延ばししようとすればできるものです。英語を学ぶ必要がない、あるいは学びたくないという人の自由もあります。これまで選択科目であった科目を必修化するには、その批判や反対を抑えるだけの有用性を示し、スムーズに移行できるようプロジェクトを立てなければなりません。このような政策を実施するということは国家としてのベネフィット効果が高い合理的確証が得られたからと考えるのが妥当です。

 ベネフィット効果とは具体的には、英語習得による(1)所得向上や雇用獲得、地位向上、(2)生活範囲の拡大、(3)入手可能情報量の増加、(4)趣味・娯楽選択範囲の拡大、(5)人脈の広がり、(6)治安の維持・改善、そしてこれらの達成によって、国家としては良質な人的資本の生産、それに伴うGDP増大が見込める効果です。

 日本政府は国家財政の健全化を図る理由などから、2003年に当時の内閣総理大臣・小泉純一郎氏がビジット・ジャパン・キャンペーンを発表し、日本を観光立国とする方針を示しました。この方針は後の政権にも引き継がれ、また税収悪化の原因とされた少子高齢化も移民政策によって打開しようとした結果、年間3000万人を超える外国人が訪日するようになりました。これは日本の人口の3分の1以上で、政府はさらに2030年までに6000万人の外国人を呼び込むことを目標に掲げています。このように日本で生活するにしても英語話者と関わる可能性が大きくなると、英語は学ばざるを得なくなります。インバウンドや移民政策が英語必修化の理由の一つと見るのが妥当でしょう。

 それでも「私は話さないので関係ない」という意見もあるでしょう。しかし、個人の自由は安定した国家が存立した上で実現します。国家の存立を安定させるには経済の発展と治安の維持、社会資本や公衆衛生の充実が必要です。英語を必修化させることで国民1億人のうち何割の人たちの貢献によって上記国力の充実が促進されるのであれば、国家の政策としては十分です。その貢献する国民が誰になるのかはわかりませんし、国としてはわかる必要はありません。いわば公共の福祉のようなもので、国家全体の利益として判断したのです。なので、たとえ自分の人生に英語は絶対に無用だという信念を持っていたとしても、公共の福祉ならば協調して学習せざるを得ないわけです。

以前はなぜ英語を学ばなければならなかったのか

① 1871(明治4)年以前

 江戸時代、全国には寺子屋が1万5000以上存在していたが、外国語としては蘭語(オランダ語)が一般的で、英語を指導しているところはほとんどなかった。1808年に起きたフェートン号事件をきっかけに(下年表)、長崎の通詞(通訳)に英語の研究を命じたことから英語を研究する私塾は多少あったが、学ぶ義務はなかった。

② 1872(明治5)年以降

 明治新政府の発した学制令の実施により「外国語」が正式な教科となった。しかし外国語は英語が嫌ならドイツ語かフランス語でも良かった。そもそも義務教育ではないから英語を学びたくないなら学ばなくても良かった。

③ 1886(明治19)年以降

 小学校令が公布され義務教育となり、尋常小学校の科目は「修身・読書・作文・習字・算術・体操、また土地の状況によっては図画と唱歌」で、また高等小学校の学科は「修身・読書・作文・習字・算術・地理・歴史・理科・図画・唱歌・体操・裁縫(女児)、また土地の状況によって英語・農業・手工・商業」となった。高等小学校によっては「英語」があるかもしれないが、義務教育は3~4年(尋常小学校を卒業するまで)なので、学びたくないなら学ばなくて良かった。また中学校令が公布され、外国語は英語を原則とすることになったので、中学校へ進学したのなら英語を学ばなければならない。下は当時のイギリス領、アメリカ領地図、また円グラフは当時の日本の国別貿易相手国を表している。この資料から当時英米が日本の重要な貿易相手国であり、中学校へ進学するエリートは英語の重要性を理解していた。

④ 戦後以降~2002年まで

 戦後の指導要領で英語は選択科目だったので必ず学ばなければならない科目ではなかったが、戦後も日本の最大の貿易相手国はアメリカと戦前から変わらなかったため、多くの中学校では英語を選択しており、事実上必修科目のようになっていた。しかし一方で就業者の構成では1997年まで製造業の割合が高く、職人・工人を目指す人が多かった当時からすれば、中途半端な英語教育より機械や家庭、電子科学といった科目に重点を置く学校がなぜ少なかったのか疑問に思うのも無理はない。

◎戦後直後英語教育の重要性を訴えた永田良吉衆院議員の請願

是は当局の説明を待つまでもなく、英語の教育を戰爭中止めて居られたのが間違いであったことは、世界の周知の事実です、英語を止めて居って、どうして世界の文化の吸収が出来ますか、日本が後れたのは英語教育を怠ったからである、それを今度大いに英語の教育を奨励したいと云うのでありますから、文部当局の説明を待つまでもなく、是は採擇に決したいと思いますが、如何でございますか〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

第89回帝国議会 衆議院 請願委員会 第3号 昭和20年12月14日 永田良吉衆議院議員 英語奬勵に關する請願、文書表第五〇號

英語教育に関する年表

1600

慶長5

ウイリアム・アダムズが日本に漂着。徳川家康に重用される(日本史上初の英語到来)

1808

文化5

英軍艦フェートン号事件。江戸幕府が長崎通詞に英語兼習を命じる

1846

アメリカ海軍士官ジェームズ・ビドルが浦賀に来航、条約の締結を請願

1853

嘉永5

アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀に来航

1854

嘉永6

日米和親条約の締結

1856

安政2

江戸幕府が洋学の研究機関として蕃書調所を設立、翌年開業

1858

安政4

日米修好通商条約調印。まもなくオランダ、イギリス、フランス、ロシアとも調印

1858

安政4

福沢諭吉が築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内に蘭学塾を開設

1862

文久元

江戸幕府が蕃書調所を洋書調書に改称。この年までには英語授業開始

1863

文久2

江戸幕府が洋書調書を拡充した開成所を開設。科目は蘭・英・仏・独・露の語学と天文・地理・窮理・数学・物産・化学・器械・画学・活字の諸科。

1863

文久2

福沢諭吉が蘭学塾を英学塾を改称

1868

慶応3

明治政府が開成所を開成学校として再興。東京大学の源流に

1868

慶応3

福沢諭吉が英学塾を慶應義塾と改称

1872

明治4

明治政府が国民皆学を目指した「学制令」公布、翌年以降順次実施。就学義務を下等小学校4年、上等小学校4年の計8年としたが強制力は弱かった。外国語が正式な教科に

1876

明治8

全国に約2万4500校の小学校が設立され、児童数は約195万人、就学率は約35%(男約50%、女約19%)に達する

1879

明治12

教育令公布。教育の権限を地方に委ね、就学義務も「少なくとも16か月通学すれば良い」と緩和。学校を「小中大学校・師範学校・専門学校・その他」に分ける

1880

明治13

第二次教育令。教育権限を地方に委ねたことにより小学校教育が後退する地方が明らかになり改正。小学校の修業年限を3年以上8年以下とした。

1885

明治18

内閣制度創設。初代文部大臣に森有礼。

1886

明治19

小学校令公布。義務教育制度のはじまり。学校が設置されていない地方もあったため、明治23年に家庭学習により就学義務が果たされるとの規定が盛り込まれる

1886

明治19

中学校令公布。尋常中学校の学科で第一外国語を英語とする

1925

大正14

ラジオ放送開始。『英語講座』始まる

1927

昭和2

東京府中等学校英語教興会、臨時大会を開催し英語科廃止反対を決議する

1934

昭和9

日本史学者の三上参次が貴族院本会議で中等学校の英語授業時間の削減を主張

1946

昭和21

日本国憲法公布、翌年施行。第26条第2項にて「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする」と定める(保護者の教育義務と教育無償化)

1947

昭和22

教育基本法公布・施行。第4条にて「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う」「2国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない」と規定(保護者の教育義務と教育無償化)

1947

昭和22

学校教育法公布・施行。小学校と中学校の修業年数をそれぞれ6・3年とし、文部大臣が小中学校の教科を定め、また教科用図書を認定することを定める

1947

昭和22

学校教育法施行規則第72条にて、文部大臣が「国語・社会・数学・理科・音楽・図画工作・体育および職業」を必修科目に、「外国語・習字・職業および自由研究」を選択科目とする「学習指導要領一般編」を発表

1998

平成10

中学校学習指導要領を改訂。選択教科だった外国語が必修科目に。また外国語には英語を履修させることを原則とすることを公表。2002年度から実施

2011

平成23

2011年度(平成23年度)から、文部科学省の新学習指導要領で、小学校での外国語(英語)活動が必修となった。

2020

令和2

学校教育法施行規則第50条にて小学校の教育課程は「国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育及び外国語の各教科」と規定し、外国語を必修化

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