経済評論家・加谷珪一氏の「戦後のハイパーインフレは財政出動のやりすぎ」という発言に反論します。
GDP比263.9%の借金国ニッポン「安全保障上最大の脅威は債務」 (TBS・2022/12/01)
加谷珪一氏は上動画の番組に出演された際、以下のように述べました。この発言についての反論です。
>加谷珪一氏「供給制限でハイパーインフレになったっておっしゃる方もいるんですが、あのそれはあまり正しい認識ではなくてですね、あの日本の供給力3割ぐらいしか落ちていませんので、あれほどのハイパーインフレになったのも間違いなく財政出動のやりすぎ」(48分)
まず「本邦経済統計」及び「日本経済統計図解」(公論者)の物価指数を元に算出したところ、1946年に前年比373%増(3.7倍)のインフレになりましたが、ハイパーインフレーション(約1.3万%増)までには至っていません(下図「物価と貨幣発行高の推移」)。また「供給力3割ぐらいしか落ちていない」という根拠も不明瞭で、仮にその根拠となる史料に3割減とあったとしても、戦争中の混乱期に3割の供給源が断たれた消費者の窮乏状況やマインドを考慮しているのでしょうか。総務省「国内各都市の戦災の状況」に全国の被害状況の詳細が掲載されています。1942年4月18日に東京・名古屋にB25爆撃機が本土襲来して以来空襲は次第に頻度を増し、44年になると空襲の火災が工場や行政庁舎に燃え移るのを防ぐため、都市密集地の建物を強制的に取り壊す「建物疎開命令」が全国280都市で下され、空襲と建物疎開によって都市の多くのインフラ・供給力は壊滅的になり、これが物価高騰に大きな影響を与えたことは容易に想像できます。実際に全国の紡績工場は3分の1に減少、闇価格が500倍にもなった砂糖は農林水産省・斎藤高宏氏「沖縄のさとうきび生産と糖業に関する覚書」によれば沖縄の製糖工場が10分の1まで減少しています。社団法人日本戦災遺族会によると、戦争末期の生活必需品生産量について、綿布は昭和12年の50分の1、毛織物は100分の1、人絹・スフ織物は約10分の1、米殻は約2分の1まで減少、1944年12月7日にはマグニチュード8.0の大地震が東海地方を襲い1万人の死者を出した上、その4日後にはB29約80機が名古屋を空襲し約700人の死傷者も。このように供給力が低減し、「一千万人の餓死者を出すだろう」という風説が流れる終戦直後に預金引出し制限が解除され、預金が一斉引き出しされたことが物価高騰をエスカレートさせたのです。
また下図「紙幣発行高」が前年比19.57%から同比43.62%増に増えた1942年には物価は上昇しておらず、空襲や建物疎開が多くなった44年末以降に上昇していること、同様に46年から47年の貨幣発行高増加率とインフレ率の非相関性からも供給力の損耗の方が物価高騰に大きな影響を与えたことは明らかです。仮にハイパーインフレーションを防ごうとして財政出動を抑えたところで、100%物価を抑えられる保証はない上、物価高の影響以上に通貨がないことによってより多くの被害者や犯罪者を生む可能性こそ考えられます。何のためにハイパーインフレーションを予防するのかそれこそ本末転倒です。