低身長のスター選手

低身長のスター選手

身長が低くても夢をあきらめないでください。才能さえあれば身長は関係ありません。ここでは世界で活躍するスポーツ選手を紹介します。

ホセ・アルトゥーベ(約168cm)

 アストロズのホセ・アルトゥーベ二塁手(1990 – )は現役MLB最小(2020年当時)かつ最強のスラッガーです。2006年当時まだ15歳で大リーガーを夢見ていたアルトゥーベ選手は、球団の入団テストの最低身長基準を満たしていなかったにも関わらず、自ら球団に直訴してテストに参加。そのテストでのアピールが奏功し、プロ契約を実現させました。

 入団後はシュアなバッティングとアグレッシブな走塁で徐々に頭角を現し、11年ついにメジャーデビューを果たしました。メジャー昇格後も成長著しく、安定した打撃に加えパワーも兼ね備えると、17年には4年連続シーズン200本安打を記録。さらに打率.346、24本塁打、81打点、OPS.957を残し、ア・リーグの最高選手であるMVPにも選ばれています。


石川雅規(168cm)

 巨人のエースは誰?といえば、さほど野球に興味がなくても菅野智之選手の顔を思い浮かべる人はいると思いますが、ヤクルトスワローズのエースといえば誰を思い浮かべるでしょうか。石川雅規選手(1980 – )は上背が重要視されていた2001年当時、身長167cmと球界で最も小さな体格ながら、高校野球や大学野球、オリンピックで活躍した実績を買われヤクルトの自由枠で入団しました。

 当時のチーム事情もあって2年目から即戦力として1軍でローテーションを守ると、5年目には開幕戦に抜擢され勝利。その後は時折不調に見舞われながらも、今シーズンまで計8度の開幕投手を担うなど13年間に渡り活躍しています。素朴なキャラクターで際立った記録がないことから、あまり目立たないエースですが、豊富な経験と抜群の安定感はチームに不可欠な存在で、40歳になる20年も開幕投手として登板し好投しました。まさかここまで実績を持つ選手になると誰が想像したでしょうか。プロ野球界の偉大な選手の一人です。


リオネル・メッシ(約168cm)

 説明不要、唯一無二のサッカーストライカー。公称170cmですが、実際は160cm台といわれています。ここまでのスーパースターには成らずともイタリアのロレンツォ・インシーニェ(約163cm)、フランスのエンゴロ・カンテ(約168cm)、乾貴士(169cm)、中島翔哉(167cm)など、身長160cm台で活躍するサッカー選手は数多くいます。


マニー・パッキャオ(約168cm)

 ボクシングファンでなくても、マニー・パッキャオ選手(1978 – )の伝説の快進撃は3億ドル(約360億円)というファイト・マネーが動いた2015年のフロイド・メイウェザー・ジュニア選手との一戦で有名になりました。

 フィリピンの無名ボクサーは驚異のスタミナと異次元のパンチスピードを武器に、次々と「格上」の実力者を倒しファンの心をつかみ、アメリカンドリームを実現させました。ライトフライ級(48.9kg以下)でデビューしたパッキャオ選手は、最終的にはスーパーウエルター級(69.8kg以下)まで体重を増やし、8階級の王者を撃破。メイウェザー選手との試合後、16年に一度は引退しましたが、4か月後には現役に復帰。19年に行われたWBA世界ウェルター級スーパー王者キース・サーマンとの王座統一戦では、40歳になっても全く劣らないスピードを披露し、判定ながらも団体統一王座チャンピオンになる快挙を果たしています。


ダレン・スプロールズ(約168cm)

 アメリカン・フットボールのポジションの中で敵中を突破して得点を奪う敏捷性が求められるランニングバックは、比較的小柄な選手が多いですが、中でもダレン・スプロールズ選手(1983 – )は最小クラスの選手ながら、19年まで15年間現役を続けました。


富樫勇樹(167cm)


田中史朗(166cm)

 2019年日本に一大ムーブメントを起こしたラグビー・ワールドカップの日本代表選手、田中史朗選手(1985 – )。中学でラグビーをはじめた田中選手は、地元の名門・伏見工業高校のラグビー部に入ると1年の時に全国高校ラグビー選手権優勝を経験。2年連続の花園制覇は達成できなかったものの、この挫折がさらなる成長のきっかけとなり、強靭な体と正確無比なボールコントロールを武器に、高校卒業後も京都産業大、三洋電機の主要選手として活躍、その華々しい実績が認められて日本代表にも選出されるようになりました。

 ラグビーワールドカップ2011でのパフォーマンスが注目されると、13年にはニュージーランドのハイランダーズに加入し、日本人として初のスーパーラグビープレーヤーに。2015年、19年のW杯での活躍は説明するまでもないでしょう。


井上尚弥(165cm)

 ボクサーは体重の階級別なので身長やリーチの差はアドバンテージとなります。“The Monster(怪物)”の異名を持つ井上尚弥選手(1993 – )の場合、リーチこそ身長より長い171cmですが、身長は165cmと高くありません。しかし、アマチュアボクサーだった父・井上真吾氏譲りの類稀なボクシングセンスと鍛え抜かれたテクニック&パワーは他のボクサーを圧倒する完成度で、負けを知らぬままWBC世界ライトフライ級、WBO世界スーパーフライ級、IBF世界バンタム級王者となり、世界3階級を制覇しました。

 井上選手は日本ボクシング史上最強と名高いプロボクサーです。現在19戦無敗16KO、WBSSバンダム級トーナメント、WBAスーパー王者であり、専門家が異なる階級の選手を比較して強者を露わにするIf評定「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」ランキングでも3位に選ばれています。


ドラゴン・キッド(162cm)

 ドラゴン・キッド選手はドラゴンゲート所属のプロレスラーです。身長は161.8cmとプロレスラーとは思えない体形ながら、卓越した運動神経と闘志で45歳(20年現在)でも現役で活躍しています。これほどインパクトのあるフィニッシュホールドは見たことがなかった伝説のドラゴンラナを見ていただきたい。新日本プロレスのジュニアヘビー級王者・オスプレイ選手が用いたことでも有名です。


鈴木圭一郎(160cm)

 公営ギャンブルの一つであるオートレースは認知度があまり高くありません。しかし、活躍すれば多くの収入を得ることができる魅力的なモータースポーツの一種です。身長よりもバイクを捌く技術や度胸、自らマシンを調整する能力が重要なので、小柄な選手や女性でも活躍するトップレーサーは多くいます。そんな中、彗星のごとく現れた浜松オートレース所属の鈴木圭一郎選手(1994 – )の活躍は異次元です。幼いころからポケバイレースに馴染んでいたこともあり、17歳でオートレースの養成所に入り9か月の訓練を経て2013年にデビューすると、次々と最年少記録を更新。新人選手とは思えない卓越した調整力そして豪快な捌きで圧倒的な強さを見せ、17年にはオートレース史上初のSG4連覇を達成しました。20年前期のオートレーサーランクはS2と順位を下げましたが、間違いなくオートレース最高選手の一人です。


竹下佳江(159cm)

 2000年代の女子バレー人気をけん引した竹下佳江選手。いくらポジションがセッターとはいえ、高さがあればブロックもできるので高身長に越したことはないのですが、159cmの身長で日本代表に居続けられたのは、そのデメリットを上回る技術や闘志といった要素が他の選手を凌駕していたのだと思います。当時は世界最小・最強セッターいう異名も付けられました。


<番外編>

マイク・タイソン(約178cm)

 誰もが知っている?最強ヘビー級ボクサーマイク・タイソン。身長は178cmと実は一般的なヘビー級ボクサーよりかなり小さい選手でした。しかしながら、全盛期には鍛え抜かれた肉体でスプリングのようなスピードとパワーを発揮し、大きな相手選手をバッタバッタとノックアウトしました。身長差を感じないどころか、負けることのほうが考えられない威圧感と迫力で日本でもタイソンブームが起こりましたね。


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