賃金が上がらないのは「生産性・イノベーションが足りないから」は本当か?

賃金が上がらないのは「生産性・イノベーションが足りないから」は本当か?

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 「賃金を上げるのに最も効果的なことは何ですか?」―「それは生産性の向上です」「イノベーションを起こすことです」長いことよく聞くフレーズです。確かに1日100個しか売れなかったものを生産性を上げて200個売れたら売上は2倍です。またイノベーションを起こしてこれまでにないものを作れるのであれば付加価値を高められるので一見説得力があるように思えます。経済界や日本政府はこの響きに共感を得て長いこと悪戦苦闘してきました。が、実際に「付加価値」はそんなに高まりましたか?また仮に付加価値が上がったとして、賃金は上がりましたか?賃金を上げるために生産性向上やイノベーションが本当に不可欠なことなのか、ミクロの観点だけでなくマクロの視点で見直してみると、どうやら「無駄なあがき」のように思えてきました。

労働時間が減少しているのに付加価値が上がっているのはなぜ?

 日本の労働時間は1985年の2000時間から21年には1600時間まで23%減少しました。それにも関わらず一人当たりGDPは211%増加しました。これは一人当たりの生産性が4倍近く上がって付加価値が増えたからでしょうか?それならばもう十分に生産性が上がっていますね。にも関わらず、なぜ賃金は上がらないのでしょうか。

同じ品質であるマクドナルドの売上・価格は上昇しているのに賃金上がらないのはなぜ?

 世界に店舗を持つマクドナルドはほぼ同等品質の商品を提供しているので国別の経済を比較するのに便利です。まず売上傾向ですが、マクドナルドの国別の売り上げは非公表ですが、10万人当たりの店舗数で見ると日本は世界でもアメリカ、カナダ、オーストラリアに次いで多く、またその3か国全てで店舗数の削減がみられる中、日本だけが増加していることから、日本における売り上げは世界の店舗の中でも比較的高いことが推測されます。また生産性は「付加価値 ÷ 労働者数」で算出するので1店舗当たりの従業員数も調べたところ、日本とアメリカで比較すると日本は1店舗あたり約5.4人、アメリカは約14人(2019年時点)でした。つまり、日本は少ない労働者で同じ品質のものを多く販売していることになります。そして国別のビッグマック価格の推移をみると、日本は上昇してはいるもののアメリカ、カナダ、オーストラリアほどではありません。それでも価格が上昇し、売り上げが高いのであれば労働者への分配も上がってよいはずです。そこで手持ちの「就職四季報」(東洋経済新報社)からマクドナルドの平均給与を抽出し推移をグラフ化しました。


 2005年から11年には年収が上がりましたが、すぐに停滞しています。従業員の平均年齢も上昇していることから賃金の上がり方は一層遅くなっています。一方、米マクドナルドの公開情報と求人情報サイトindeedから同社の売上高と従業員の時給を調べたものが左下のグラフです。米マクドナルドでは直営店の売上高が下がっているにもかかわらず従業員の賃金は上昇していました。但しこの間アメリカでは従業員を大幅に削減して1店舗あたりの従業員数を減らしていました。それでも日本の約2.5倍の人員を投入しているので生産性は日本の2.5分の1です。ちなみに2022年の従業員の時給12.20ドルは日本円に換算するとおよそ1,659円(1ドル=136円換算)です。

 マクドナルドに限らず、実は日本の企業の多くが利益を生んでいるにも関わらず、賃金を上げられていないことは財務省「法人企業統計調査」から判明しています。企業規模が10億円以上の法人の営業利益と従業員給与の推移(画像右下)をみると、1997年までは92年以降営業利益が減少しているにも関わらず、売上高とともに従業員一人当たり給与が上昇していますが、リーマンショック後は営業利益がバブル景気以上に増えているにも関わらず給与に反映されていません。規模が小さい企業(画像左下)に至ってはそもそも売上が減少しているため、従業員数を削減して給与を維持していることがわかります。

日本の賃金が低いのは本当にイノベーションが起きていないからか。

 上記で示すように日本の賃金の伸びの低さは世界の中でも最下位クラスです。売上が大企業でも現状維持、営業利益の伸びがないのは「イノベーションが起きていないから」「生産性が低いから」だという経済評論家がいますが、本当でしょうか。

食品業

 日本の食品産業は世界で最高峰です。日本を代表する寿司、てんぷら、ラーメン、カレーにおにぎり、海鮮料理、粉もの、缶詰、インスタント食品に魚肉ソーセージ等にそれぞれ、見た目、売り方、商品バラエティそして価格競争による切磋琢磨でイノベーションには枚挙にいとまがないといえます。日本にはこのような高品質な食品は腐るほどあります。つまり供給量が十分なため、容易に単価は上げられません。むしろ品質を維持しながらコストを下げるイノベーションをしてきたといえるでしょう。

製造業

 光触媒を利用した消臭・防菌製品は90年代に日本で次々と製品化されました。空気清浄機や建築材料、靴底シートなどさまざまな製品に応用されています。空気清浄機の普及率は45%ほどで将来性もあります。また書き味が異次元なジェットストリームボールペン、フリクション(消せるボールペン)も日本が生み出した文房具で海外でもその機能性が認知されはじめています。デオドラントスプレーや目薬、爪切りなど衛生製品や化粧品・スキンケア関連も日本は独特なものが多く、品質も最高です。ちなみにそれらの製品に添付されることがあるQRコードを発明したのも日本です。あまり知られていないロボットや工業用製品も同様に賃金が上昇している他国と比べてイノベーションが足りていないとは思えません。

エンターテイメント

 日本のアニメは世界最先端で、同人という市場を含めると市場規模は3兆円にも上るといわれています。世界という経済圏で見れば日本はいわば独占企業のようなもので、アニメの付加価値を決めるのは日本自身なはずですが、低賃金で苦しみながら働く漫画家さんや声優さんは多いと聞きます。

電気・ガス・水道業

 下はイギリスの電気・ガス・水道業の平均賃金の推移と日本の「電気工」の給与の推移を比較したグラフです。これらの業種はイノベーションが起きにくいのは容易に想像つきます。しかしながらこれだけ賃金の差が開いているのはなぜでしょうか。

 日本の平均賃金が上がらないのは「イノベーションが足りないから」ではなく、利益を賃金に反映しない或いはできない企業や日本のこれまでの政府の経済政策に問題があったと考える方がしっくりきます。

「物価」と「需要と供給」

 ところで、日本の財政について財務省は政府債務対GDP比(画像左下)を示して日本の財政破綻の可能性を煽り、増税を促して消費意欲を減退させていることは周知だと思います。この政府債務対GDP比で使われるGDPは当然物価の影響を受けています。もし販売数量が同じまま日本の物価が90年から毎年3%ずつ上昇していたら、GDPは今頃どれだけ上がっていたのかを計算したところ、1000兆円を超えていました(画像右下)。これを元に政府債務対GDP比を他国と比較したのがその下のグラフです。

 要するに物価が上がれば財政は何の問題もないのです。

なぜ物価が上がらないのか。

 これまでなぜ物価が上がらなかったかと言えば、景気がたびたび鈍化したからで、なぜ景気が鈍化したかというと、バブル崩壊やリーマン・ショックはさておいて(「50の指標で平成バブルを分析する」)、第一に労働者の増加(図1、図2)や機械化、中国の台頭(図3)によって供給量が増加し、且つ最低限度の生活をするための耐久消費財も一定程度普及、品質の向上によって耐用年数も長くなった(図5、図6)ことから需要が相対的に漸減したことが理由に挙げられます。またバブル崩壊後に不良債権処理が促進され(図7)銀行が貸し渋りした(図8=設備資金新規貸出額が減少)結果、法人企業が営業利益を投資や賃金に回すより自己資本比率を高める防衛を図った(図9、図10)というのも理由の一つです。ちなみに平均給与は1998年頃まで上昇していますが、これは1994年から97年まで一度円安に反転し(図11)、加えて95年に発生した阪神・淡路大震災の約29兆円にも上る震災復興関連事業(神戸市・行財政局財政部)によって景気が改善しかけたこと(図12、図13)、さらに労働者が大量に解雇されたこと(図14)から上昇したものとみられます。しかし米国ではITバブル全盛だった97年末にアジア通貨危機が起こり、さらに消費増税によって可処分所得が下がることで日本経済は再び失速します。

(図1)「就業者数とGDPの推移」
(図2)「年齢階級別核家族世帯の共働き割合」
(図3)「対中国輸入額の総輸入額に占める割合」
(図5)「耐久消費財の普及率年推移」
(図6)「耐久消費財の平均使用年数」
(図7)「企業倒産件数と負債総額、不良債権処分済額推移」
(図8)「設備資金新規貸出額」
(図9)「法人企業自己資本比率の推移」
(図10)「企業の利益余剰金(内部留保)額の年推移」
(図11)「ドル円と米国輸出額の推移」
(図12)「兵庫県のGDP推移」
(図13)「兵庫県のGDPが全体に占める割合」
(図14)「失業者数と平均給与の関係」

物価を上げるにはどうすればよいのか。

 庶民の多くが参入するような分野にどれだけイノベーションを起こし生産性を高めようとしても、供給量が多ければ物価の上昇は限界があります。こういう時は政府が高付加価値を生み出す新産業(宇宙、医療、エネルギー開発、国土防衛、国土強靭化等の先端科学)に投資をするなどの財政出動を行い効率的に総体的に物価を上げることが不可欠です。それにもかかわらずPB黒字化を目指す政府は96年以降、2020年のような大胆な出動はこれまでできませんでした。物価が上がれば財政問題は解決するのに、その物価を上げるための財政出動が財政問題を理由にできないという訳がわからない状態に陥っていたのです。

 またこれは個人的な案ですが、税制改革法十一条一項で「事業者は、消費に広く薄く負担を求めるという消費税の性格にかんがみ、消費税を円滑かつ適正に転嫁するものとする。」としていながら、モノ・サービスの適正な価格が設定されていないのはおかしいので、総務省がモノ・サービスの適正な価格を個別に提示し、資本金1000万円以上の企業がその価格より下の価格で販売できないようにする。さらにその適正な価格を毎年3%ずつ挙げていく。その際、低所得者保護のため国民全員に毎月約1万5千円ずつ(当年平均賃金の3%)支給する。予算は年間21.6兆円で消費税収とほぼ同額ですから、消費税が撤廃されたようなもの。さらに財源はどうするのかと言われたら、物価が上がるので税収及びGDPが必ず増えるわけですから1年遅れで返済すれば良いわけです。

「日本は人口減少国だから成長できない」に対する反論

「生産性を高めろ」という人は良くこの「人口減少論」を主張し日本経済を悲観的に分析します。人口が減少すればモノやサービスを買う人が減るからと印象的にはもっともらしいですが、指標をみるとそうとはいいきれません。ジョージアやブルガリア、シンガポールなど人口が減少しているにも関わらずGDPが成長している国はあります。しかし「人口減少論」を主張する人はそれらの国々を上げると「人口が少ない国は参考にならない」と都合の悪い情報を取り入れません。それでは先進国ドイツならどうでしょうか。ドイツの1974~1983年も人口は減少していますがGDPは増加しています(左下図)。この論理の「裏」は、「人口が増加していればGDPが増加する」ですが、これも正しくありません。例えばブラジルは人口が増加していますが、GDPは2018年から減少しています(右下図)。

 先ほど生産性は「付加価値÷労働者数」で算出すると述べました。人口が減少すると購買者が減るのは確かにその通りですが、同時に労働者も減少します。日本は世界と比較して断トツに失業率が低く(下図)、労働者数が多いので生産性が低く出ているに過ぎません。もし仮に総人口が減少する割合より労働者がつぎつぎとニート化?病状悪化で入院?して労働者数が減少する割合が高くなると、むしろ生産性は向上することになります。つまり「生産性向上に人口減少が悪影響を及ぼす」とはいえないことを示しています。

物価が上がれば賃金は本当に上がるのか

 物価が上昇すれば付加価値も上昇します。ということは労働者が一定であれば生産性も上昇します。言い換えれば作業の効率性を高めたりイノベーションしたりせずに生産性は上がるわけです。また持続的なインフレは企業がこれまでに貯めた内部留保資産の目減りを回避するため投資を行うので株式市場も活性化するはずです。しかしながら現状生産性が上がっているのに賃金は上昇していないことは冒頭に説明しました。

 平成バブル以前の家計可処分所得は常に物価上昇を上回っていました(左下図)。ただ現在は当時とは比較にならないほど社会保険料と税金の非消費支出が高くなっています(右下図)。こういった消費意欲を減退させる政府の政策がなくならない限り、持続的なインフレにすることは容易ではありません。一方、イスラエルやスイスのように物価が安定していながら賃金が上昇している国もわずかながら存在します。緊縮財政で雁字搦めの日本はこれらの国を参考にする必要があるかもしれません。

「可処分所得変化率とインフレ率の年推移」
「非消費支出と消費性向の年推移」

他国ではどのようにして賃金を上げているのか

 ストライキによってどれほどの賃金が上昇したのかは、はっきりとしませんので参考程度に提示しておきます。

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